"

僕は罪悪感から自由になり、自分を苦しめていた罪からも自由になり、格好良くならないといけないというプレッシャーからも自由に なりました。僕が行くべきだった地獄からも自由にされました。イエスは永遠のいのちをお与えになって、聖霊がその頃から今まで 僕に日々語りかけています。

"


変わったオーストラリア人
Author:
Geoff Toole

ジェフの証

はじめまして、ジェフといいます。平日は英語の先生として働き、4人の子どもを持つ忙しい父親でもあります。日曜日には甲子園にある 小さなキリスト教の教会で教えています。「僕はずっとクリスチャンだったのでしょうか」これが僕の物語です。

真理の無い伝統

僕はよくあるオーストラリアの郊外の家庭で育ちました。伝統的に家族はクリスチャンでしたが、宗教に関して何の関心も払うことが ありませんでした。学校の宗教の授業では聖書の話しを聞き、家では現実の話しを聞いていました。僕の父親が教えてくれたことは、 人生で成功したいならいつも正直でいることは損だということでした。正直であるのは大抵の時良いにしてもです。特に父と接する時は なおさらそうでした!結果として自分にとって宗教とは日本の多くの人が考えるものと同じようなものになりました。意味が無いのです。 僕たちはクリスマスの歌やイースターでもらえるチョコレートエッグが好きでした。ですが、ただそれだけだったのです。けれど、 心の中では真理は大切であって、不正直であることは間違っていると知っていました。

みんなと同じように

学校で少しイジメに遭ってからは、自分を変えないといけないと思いました。近所の高校に通う代わりに、頭の良い中学に入ろうと 努力し、驚くことに受かったのです。それが始まりでした。それから僕はクラスで一番人気のあるグループに入り、いじめられるよりか は自分たちがいじめるようになりました。また目標を達成するために、その中学における社会的な階段を駆け上がっていきました。まず サーフィンをしたり、次に女の子を追いかけ、ラップミュージック、非行集団、万引き、落書きなどにはまり、最後にロックンロールに 行きつきました。これらのことは、格好良くなって、みんなに認められるという夢を実現するために必要な階段だったのです。

いつもうまくいくとは限らない

しかし内心、僕はひどい罪悪感を抱えていました。自分のいる環境で認められるための階段を上るということは、自分で悪いと 分かっていることをし続けるということだったからです。まず本当はいない彼女のことで嘘を付いたり、友達をあっと言わせるために 盗みなどをしていました。ロックもつまらなくなり、駐車場の壁や誰かのフェンスに落書きした後には自分が嫌いになりました。だけど、 ただ人気になりたいからまたそうするのです。ふたつの出来事によって、自分の生活がどんなに悪くなったかがはっきりと分かりました。 手に負えない子どもたちの集団に入った後、僕は「バスの後ろの席」に座ることを許されました。それは僕の町でとても誇らしいこと だったのです。かつてはバスの窓から僕と友達に向かってつばを吐きつけてきたやつたちと、今は僕がラップ音楽のテープを交換 していたです。

ある日、その子たちは僕の昔からの友達の帽子を奪って、取り返そうとする友達をからかって投げて遊んでいました。その帽子は僕の ところへ回ってきました。僕はその時どうしたでしょうか?その子は僕の昔からの友達だから返す?それとも新しい友達の気を引く ために次に渡す?言うまでもなく僕は次に回し、それから自分のことをますます嫌いになりました。それから煙草やドラッグの問題が 出てきました。僕はドラッグを嫌う家庭に育ったのですが、最初の機会に誘惑に負け、その行為に参加しました。僕は完全な偽善者で、 裏切り者で、嘘つき、泥棒、逆らう子どもまた愚か者でした。問題だったのが、大半の僕の友達も同じようだったことです。そのために 真理を見つめることが難しかったのです。僕は自分と他の人を比べて、自分は大丈夫だと思っていました。

足もとをすくわれる

高校の1年目、私たちは科学の授業で進化論を学び始めました。それは宗教の授業がある最後の年でもありました。そこで新しい 先生が来たのです。その人はみすぼらしい格好をした郵便配達員で、日本の状況とは違い、オーストラリアではあまり尊敬されない 仕事でした。その人は創造主である神、この世を設計し、創った神について教え始めました。

その学期に生物の授業で習った事実で身を固めて、私のクラスメートたちは創造者である神という考えを真剣に信じている先生を、 容赦することなくばかにしました。ミッシングリンクの化石は明らかに進化の歴史を示していると“みんな知っていた”のです。犬が 北極圏に連れて行かれたら、毛が長くなることぐらい“みんな知っていた”し、炭素の年代測定によって、岩は何十億年も古いもので、 地球が比較的若いという聖書とは違うということを“みんな知って”いました。

ですが、その郵便配達員の答えとクラスの反応を見ているうちに、進化論には重大な問題があるということに気付きました。その人は 設計や若い地球、進化による歴史と違う聖書的な歴史の真の証拠を示していました。またその人は進化論の中にある大きな欠点もあらわ にしました。科学の授業で教えられてきたミッシングリンクの大半は時代遅れで、偽りだと証明されたというのです。そして人類と猿の 間、鳥と恐竜の間、またどんな動物の間の確実なミッシングリンクの例も存在しないと言っていました。

そこで僕は興味を持ったので、その証拠を自分で勉強し始め、大学においても科学を専攻し続けました。その6、7年の期間で僕は、 進化論が完全な詐欺で、証拠によってではなく感情によって動機付けられたものだと気付きました。この理論の大きな矛盾はいつも 無視されていて、特に創造論のような他の理論は大変ばかにされ、真実が日の目を見ないところにあります。

反抗とその理由

その宗教の授業での科学の話が終わった後、私たちは残りの週を道徳と神の律法について話すために使いました。すべての面において、 私の友達は道徳的な問題に関して神の立場を説明する私たちの先生をばかにし、暴言を吐いていました。それを聞いているうちに私は 気付いたのです。私と正直な人なら誰しも聖書の神の側につかざるを得ないということを。それはそうすることが都合が良いのではなく、 それが正しいからでした。

妊娠中絶は神の目から見て殺人です。フリーセックスは言葉にすることの出来ない痛みを生み、社会における不満のもととなっています。 ドラッグやアルコール中毒は人類をおとしめ、この世に多くの不必要な痛みをもたらします。ヘビーメタルの音楽の反抗的な影響は、 ある人にとっては取るに足らないものですが、別の人にとってはひどい影響をもたらします。僕のクラスにいた子どもたちは聖書で 教えられている道徳的な神に完全に敵対していて、本当に神が存在するなら、彼らはみな地獄への道を歩んでいるということに気付き 始めました。そしてそれは僕も同じで、そのようなことが悪いと知りながらもただ自分に合っているから、人気を得たいからという 理由で悪いことを続けていました。

すべて僕の信じていたことに疑問が生じました。それは足元のカーペットがすくわれたようなもので、僕は床に倒れ込んでしまったのです。

イエスとの出会い

僕は聖書を読み始めました。最初はただ興味があっただけでしたが、すぐに神の言葉をもっと読みたくてしょうがないと思うように なりました。僕はすべてを理解できませんでしたが、聖書を愛していました。僕はイエス・キリストという人の人格の中に、完全な聖さ、 完全な正直さ、完全な正義と愛を見ていました。神は数千年も前から、人となり僕たちの罪のために死ぬと言っていた約束を果たしました。 イエス・キリストは神の純粋さと聖さを示しに来たのです。

イエス・キリストは僕のようにほんのわずかのお金を節約するために嘘を付いたりはしませんでした。イエス・キリストは僕のように わずかの人気を得るために友達を裏切ったりはしませんでした。イエスは僕たちに仕え、僕たちの罪ために死ぬためこの世にやって来たの です。また彼は僕たちがするように、罪をただ無視しようとはしませんでした。現在日本で見られるように、僕は宗教に対する オーストラリアの一般的な考え方を受け入れましたが、人はただ争うことさえしなければ全てが良いと考えます。ですがそれはただ単に 裁きについて心を悩ませること無しに、罪を犯しつづけるための言い訳にしかすぎません。このようなことは偽善的です。神は正義で罪が ないので、罪を裁かなければなりません。それは死を意味します。ですが、恵みによって神は僕たちが救われる道を作ってくれました。

難しい選択

ただ聖書の事実の正確さや、真実を分かっただけで僕は自動的にはクリスチャンにはなりませんでした。神の元に行くということは まぶしい光に照らされるようなもので、そのまぶしい光の中で僕たちのすべての過ちは暴露されます。僕の前には難しい選択が 待っていました。クリスチャンになるということは、友達が僕をそのグループにもう入れてくれないということを確実に意味していました。 私が育った町の社会生活で16歳、18歳というと、毎週ビールやドラッグに浸る生活でした。僕はそれにもう参加出来なくなりました。 それに家族は僕の信仰を退けることになります。なぜなら、信仰を持つということは家族が自分を偽善者として育てたと意味することに なるからです。それは実際真実でしたが、僕はそのために家族を責めたくはありませんでした。クリスチャンになるということは僕の フリーセックスの考え方とたくさんの彼女を諦めることを意味しました。

テレビや映画と違い、神さまは結婚を聖なるものとして考え、人はどの時代でもそれを常に知っていましたが、若い世代からの純粋な 結婚を望む者は多くありません。最後にはヘビーメタルの問題が立ちはだかりました。その音楽のスタイルに問題があるというわけ ではなかったのですが、僕のお気に入りのバンドはみな反抗的なことと、罪について歌っていました。僕の知っていたことはすべて 神が嫌っていたことでした。僕は神さまに従うためにその音楽を聞くことを諦めたでしょうか?僕はそれが間違っていると知っていながらも、 その音楽に入り込んでいました。僕は「いいえ」と言う勇気を持っていたでしょうか?

真理はあなたを自由にする

ある日、私は「もう決めた!」と言いました。私は教会に行きはじめたのです。僕の父親は二度教会に行かないように僕を止めましたが、 神への信仰について何ものも邪魔させないと心に決めていました。僕が教会に行き、イエスのことについて聞くうちに驚くべきことが 起こりました。僕の生活の中で非常に強力だったもの突然、価値を無くしていったのです。僕は善いことを愛する新しい友達を持ち 始めました。その友達は真理と誠実さを大切にしていました。彼らは何が正しいことかを学び、考えることが大好きでした。

その人たちも僕と同じように、以前は反抗的な偽善者だったのが、罪から救ってくれる創造の神に出会い、目が開かれ、神のことばによって 教えられ、より良い道へ導かれた者でした。僕はかつて無性に求めていたドラッグや悪い音楽、人気などのものを欲しなくなりました。 今僕は真理を得たのです。イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父の みもとに来ることはありません」と言い、また「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」と言いました。僕は罪悪感 から自由になり、自分を苦しめていた罪からも自由になり、格好良くならないといけないというプレッシャーからも自由になりました。僕が 行くべきだった地獄からも自由にされました。イエスは永遠のいのちをお与えになって、聖霊がその頃から今まで僕に日々語りかけています。

豊富な証拠

僕がクリスチャンになってから、歴史、科学、考古学、哲学においての聖書の真理を裏付ける数多くの証拠を見てきました。それはここでは 書ききれないほどです。そんなに多くの証拠があるのに、それを多くの人が見ようとしないのは悲しいことです。とても多くの人が何が真理 であるかを調べるよりか、自分たちが育てられてきた偽善的な伝統の中にとどまることを良しとしてしまっています。僕は彼らを責めは しません。なぜなら僕もかつてはそのようだったからです。ですが僕は強くお勧めします。今まで神さまの元に来たことが一度もないなら、 今日神さまを求めてください。あなたが神さまを熱心に求めると、神さまはあなたにご自分を啓示してくれます。そして神さまは、目が 見えないような信仰じゃなくて、信じるための多くの理由を与えてくれることでしょう。

なぜ日本なのでしょう?

僕が大学の単位を取り終えた頃、僕がしたかったことはただ自分に与えられた真理を分かち合いたいということだけでした。オーストラリアは ちゃんとしたクリスチャンが10%ばかりいると言われていますが、彼らは何世代にもわたって真理を持っていました。日本はかつてその真理の メッセージを長い間持っていましたが、大半の日本の人が絶対的な真理が存在するなんてことは考えたことがありません。日本の、少しの神道と、 少しの仏教、少しの何かを加えた伝統は基本的に本物の真理が無いと教えています。

残念ですが皆さん、これは間違っています。誰でも耳を傾けてくれる人への僕のメッセージは次のようなものです。創造主なる神が存在します。 神は正しいことと悪いことが何かを決定する方です。僕たちは知りながら繰り返し神さまの律法を破り続けてきたため、有罪なのです。そして神 さまの愛と正義を示すために天国と地獄があります。イエスさまは僕たちの罪の代価を払いに来られました。イエスさまが死んだのは、僕たちが 生きるためです。イエスさまは僕たちの罪を取り去り、僕たちの刑罰を受け、僕たちが正しく永遠のいのちを持てるようにされました。その永遠 のいのちは真理なる神を信じ、受け入れることによって与えられます。そしてあなたは僕がしたと同じような難しい選択を迫られるでしょう。 あなたの罪は僕のものとは違うと思いますが、みな同じようにそれを知っています。罪を犯し続けながら、神と歩むことはできません。ですが、 イエスの十字架のために、私たちはきよさの中にあって神の前に出ることができ、神の霊は罪を乗り越える力を与えてくれます。僕たちが落ち 込んでしまったときは、神さまはいつも赦し、正しい道に導いてくれます。

どのようにして神を知るのでしょうか?

僕がしたように調べてください。神さまに真理を見せてくれるよう祈ってください。聖書を読んで、神さまが何を善、何を悪と言っているか知って ください。誠実にそうするなら、神さまは確信を与えてくださることを僕は知っています。聖書について人の意見を聞く必要があるでしょうか? 神さまご自身に聞いたほうが数倍優れています。

また聖書を教える、キリスト教の教会に通われることもお勧めします。うちの教会の連絡先、電話番号などは最後のページに載っています。

ジェフ・トゥール

[戻る]

メディア: