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そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。 御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。

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1 ヨハネ 5:11-12


あなたは天国に行きますか?
Author:
Geoff Toole

タイトルを読んだだけでこの紙を捨ててしまう人がたくさんいるでしょう。「あっ宗教だ」とか、「他の宗教を信じている」、または「宗教なんかなくても大丈夫だ」 と思っているからです。宗教がなくても幸せに良い生活を送れるかもしれませんが質問は天国に行けるのでしょうか ということです。

天国と地獄は本当にあるのでしょうか。

天国と地獄の存在は証明するまでもなく、昔からさまざまな国の、さまざまな人種が、あるかたちの天国と地獄を信じていたのは事実です。しかしながら、 なぜ天国と地獄がなければならないかという良い理由があります

正義

それはどう定義すべきでしょうか。すべての不正は正されないといけないという原則です。それはわれわれが皆 自然に知っていることです
正義が遅らされたり、行われなかったりする時、特に感じます。おもちゃを取られた赤ちゃんに、それが悪いと教える必要はありません。押し倒された幼児に 正義を要求させる必要もありません。その気持ちは自然に出てきます。うまれつきのものです。

動物には分からず、人間だけに特有のものです。自然には発生しません。 もちろんこの世において、すべての不正が正されるわけではありません。したがって正義の原則は社会から教えられる ものでないことが分かります。

実際に行われる方法は文化によりますが正義の概念はすべての人種に共通です。正義は神から出てくるものです。 この世では少しの正義もないのですが、次の世に正しいさばきを期待すべきだと思わせてくれるように正義が私たちの心に書かれています。

しかし、現代人が思い込もうとしているように天国と地獄がなければ、究極的には 正義がありません。貧しくて虐げられている人には望みはありません。押さえつけたり残酷な人には恐れる必要は ありません。もし死がすべての終わりなら、好きなだけわがままな生活を送った方がいいんじゃないのですか?違います。 心ではそれはダメだと分かります。死後、私たちは神の徹底的な正義に対面することになります。頭で否定していても心で知っているでしょう。

なぜ天国は一時的ではなくて永遠なのでしょうか。

神は絶対的に善です。天国では永遠に増えつづけるしかない、信じられないほどの喜びと幸せを体験することに なります。天国でのすべての時代は、神のすばらしさと愛の側面を次々表すでしょう。それがいつか終わってしまうとしたら、どんなに悲しいことでしょう。 しかし天国には悲しいことがありません。正しい人の喜びは永遠に続きます
神はご自分の絶対的なすばらしさを表します。それにこそ、永遠の時間が必要でしょう。

逆に、絶対的に善である神に対して罪を犯すことは絶対的に悪です。 地獄は悪魔と悪霊のために作られたと聖書に書かれています。すばらしい神に対する反抗と無視の中で、たくさんの人は悪魔について行っていることはどんなに 悲しいことでしょう。心の中で悪と知っているのに実行するたびに私たちは神に対して罪を犯しています。ふさわしくないと知っているのに人を悪く扱うたびに 私たちは神に対して罪を犯しています。神は私たちの心の中にご自分の律法を入れてくださいました。皆は良心を持っています。悪を行ったらご存知でしょう。 しかしたくさん罪を犯したら良心の声でさえ聞こえなくなってしまいます。すばらしい神に対して罪を犯すのに永遠の地獄はふさわしい罰です。 永遠の地獄によって、罪の悪と神の正しい裁きが表れています。私たちがしているように、神は罪を無視したり 大目に見たりすることができません。

天国に行くには何が必要でしょうか?

それは簡単です。完全でありなさい。天国には悪いもの、悲しみ、痛みなどは全く無く、完全なところです。私が 自慢、偽善、嘘、悪い考えなどを持ちながら、そのような完全なところに行けると考えるのは、なんと、ごう慢なことでしょう。あなたが正直ならば、もしあなたが 天国に行けば、それを地獄に変えてしまうことを認めるでしょう。汚いものがきれいなものに触れたとき、どちらも 汚くなるからです。それは逆には働きません。天国は永遠に完全なところですから、私たちにとっては無理な要求があります。 罪のない状態です
神以外そのような生活を送ったことがないため、第二の手段を考えてみましょう。
赦され、生まれ変わる!

どのようにして私の罪を神が赦されることを知るのでしょうか?彼は聖書でこのように言っています。

「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

~ 1ヨハネ1:9

神は十字架上で私たちの罪を取り去ったので、それをすることが出来ます

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」

~ 2コリント5:21

「それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。」

~ テトス1:2

次の理由によってのみ、私たちは天国に入るという本当の確信を持つことができます。

  • 1. イエス・キリストが私たちの罪を取り除いた。(すなわち、天国に行くのに障害となっている犯罪を消し去ったということ)
  • 2. イエスの義を与えられた。(神の目の前に完全であること)
  • 3. すべての生まれ変わった者に対して、神は永遠の命を約束された。
しかしながら、赦されるためには頼まなければいけません。「主の御名を呼ぶ者は救われる」。たくさんの 人は神に罪を犯したのに、神に赦しをこわず、自分の罪を取り去ろうとしたり、自分を救おうとしています。ある人に対して悪いことをしたのに、他の人に 赦されることはありません。あるコンビニから物を盗んだのに、他のコンビニに返すのは意味がありません。しかし人は、心の中で神の律法を破って、神に 罪を犯しているのに、偽りの無い生活、貧しい人への施し、良い行いやお寺参りなどのことによって、義と認められようとしています。これらのことは決して 罪を取り除くことは出来ません。あなたが犯した罪はもう犯してしまったのです。あなたは唯一の生きている神から 憐れみを求めることしか出来ません。その神は裁き、救い、罪を赦す権利を持っているからです。
もうひとつ話しておかなければならないことがあります。それは悔い改めです。
それをもう一度しようと決めているのに、悪かったと謝ってもそれは正直ではないでしょう。その人に確信を与えることは出来ますが、すべての人の心を ご存知である神を騙すことはできません。罪人が神の前に来て、憐れみを求めるとき、生き方を変える決意がないといけません。

あなたは天国に行きますか?

再び元の質問に戻ってきました。天国に行かない人は次の条件のうち 一つでも満たしている人です。

  • 1. 神の前に自分の罪を認めない
  • 2. 神に赦しを求めない
  • 3. 過ちを取り去るために十字架だけを信頼しない
  • 4. 罪から立ち返り、新しい生活をはじめない

「はい。私は確かに天国に行きます」と言える人は、次のすべての 条件を満たす人です。

  • 1. 神に罪を告白して、過ちを認める
  • 2. 生きている神にキリストを通して赦しを祈る
  • 3. 知っている限りの罪を悔い改めて、神に与えられた恵みによって、神に従おうと心に決める

ただ神の御ことばである聖書を読むことで、神を見つけられます。もし、神を知って天国に行きたかったら、今日聖書を読みましょう。あなたが読んでいる ときに神さまが理解を与えてくださるように祈りましょう。(神さまは確かにそうしてくださいます。)

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